日出処の天子3

kido-nobunaga2004-03-25

(昨日の続き)



アメリカから帰ってレンタカーを駆って
斑鳩へと訪れた。

その閑静な町中に
法隆寺は泰然としてあった。



大陸の仏教文化の輸入というInputを通過して
飛鳥というオリジナリティあふれる文化・技術を生み出した。


いわば、文化の一大編集事業だ。
そのターニングポイントを演出したのは紛れもなく、
聖徳太子その人だ。


法隆寺という建築物で世界観を具現化し、
冠位十二階などの社会制度も組立てた。
玉虫厨子三経義疏、えとせとら。


つまり、「国」の青写真を描いてみせたんだ。


そんなインパクトを創り出した彼に
純粋に尊敬と憧れの念を覚える。



「実在したのかどうか?」とか
「8人の話を同時に聴きわけた」伝説とか
その辺はおいとこう。
確かめれないから。


「戦時中に右翼的な解釈がなされて・・・」
うんぬんかんぬんとかいうのもおいとこう。
解釈の幼稚さはマインドの未熟さでしかないから。



余談だけど京都に住んでてふとこんなことを思う。
「古代において寺院建築ほど
クリエイティブな作業はなかったんじゃなかろうか。」



こうして想像を無駄に飛躍させてしまったのは、


厩戸皇子蘇我蝦夷らの
人間くさくて真っ直ぐな感性が


心に突き刺さったからだ。