『私は貴兄のオモチャなの』
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久々に。
岡崎京子の名作『私は貴兄のオモチャなの』に収録されている、
「Over The Rainbow」という短編。
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仕事や日常での歪曲が、恋人との関係を破局まで運び
女友達2人で“虹の彼方”へ向かって走り出す。
という、2行で説明できるストーリー。
最後のフレーズで虹の彼方”ってどこだよ?的な疑問符で締めくくる。
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この“虹の彼方”ってどこだよ!? って話。
「ココデハナイドコカヘ」症候群は、
油断するとすぐに心を蝕んでいく。
結局どこへいっても自分の日常の延長線上なんだろう。
今日、この戦場を生き抜いていく。
そうして積み上げたものが唯一、理想の場所なのではないか。
強くそう思う。
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『極東学園天国』(またしても)で、五色台学園解散の危機に、
間宮学長はこう語りかける。
「他人に用意された場所には何もない」
こう言い換えて、誰も文句は言わないよね。
「自分が創る場所にしか、RealityとPleasureは芽生えない」
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和
「たえられないくらいなら望むんじゃねえよ」 (安野モ
ヒトの立つべき「場所」について。
安野モヨコ『エンジェリック・ハウス』より。
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いつもヘッドホンで自分の世界に浸りきっていた滝沢柊二(14)。
未来からやってきた少年ハルの創ったCDのおかげで
スターミュージシャンになった。
でも弱気で内向的な性格までは変わらず、
「もうスターなんて疲れたよ」
なんて女々しい弱音を吐く。
ハルはそんな柊二にイラだち、
「たえられないくらいなら望むんじゃねえよ」
と吐き捨てる。
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むやみに
表現したがったり、リーダーになりたがったり。
僕らもよくそんな醜態を曝す。
その先にある苦しみも知らずに。
無邪気、というか、無神経 というか。
本当に覚悟が決まらなきゃ、
立っちゃいけない場所は思ってる以上に多い。
心の底から望んでもない「思い付き」や「気分」を
さも自分の信念かのように言っちゃあいけない。
自戒も込めて。
和
エンジェリック・ハウス
うっきょー!
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安野モヲコ作品の中で
なぜか社会派なメッセージ
「文明化の進んだ果ての22世紀の世界は、人々がコントロールされてる均質な文明で・・・・」
「その少年が22世紀を脱走し現代にやってきて、20世紀の人間に警鐘を・・・」
というテーマは手塚治虫チック。
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ハゲかかった環境問題の専門家が
同じ主題を三時間にわたって講演してくれても、
何も心には響かないにちがいない。
シリアスに語られる世界への絶望はもう聞き飽きた。
安野モヲコならではの、
スタイリッシュで美貌と色気を備えた研究者、ハルが
現代に逃げてきたからこそ、のインパクトだ。
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もちろんここでは、
佐伯啓思『「欲望」と資本主義』とか幸福論の指標みたいな
インテリの好きそうな本の得意ジャンルの話はおいとこう。
たかがマンガだしね。
音楽・映画・ファッション、そしてマンガも。
なくても生きていけるのかもしれないものたち。
しかし、そんな「無駄」がどれだけ豊かなことか。
その「無駄」のなかに
人間が人間たる所以が眠っている。
「人間らしさ」とはそんなところにあったりするんだろう。
地球が平らになった22世紀の
少年がそう言ってるんだから。
「まだ」というか、「もう」というか、
今、実は21世紀なんだよね。
ワ
ジェリー イン ザ メリィゴーラウンド
ファッション特集ということで、
安野モヲコの一番オススメな作品を。
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モデル軍団のドタバタラブコメディ。
と、こう説明すると軽い作品のようだ。
まあ、実際軽い作品だからいいのか。
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10代ってこういう世界に憧れがあるんだろうなぁ、
ってのを具現化したような、おしゃれっぷり。
カッコよすぎる&可愛すぎる登場人物たちに
ノリがよくて楽しいトークを繰り広げさせる。
これは卑怯だ。オモシロイに決まってる。
安野モヲコの得意技だな。
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マンガとしては絶対に楽しめる作品だ。
主人公のミリという女の子はパワフルだ。
「自分探し」チックな哲学気分な中、
恋も仕事も自分の思い通りに運ばせようという
欲張りガールだ。
しかし!!
ミリに影響されて生きようとする女の子は要注意だ。
正直こういう価値観を持ってる人間が
彼女だったらさぞウザいことは間違いない。
(これは個人的な好みの話だというのは、重々承知)
という視点でみてると、
主人公は異様にムカついてくる。
この作品に影響されてしまって、
「ワタシの本当にやりたいことはナニ?」とか
「カッチョいい女になるんだ!」とか
のたまってる女の子はよっぽどの美貌と才能と行動力がなければ
おそらく世間の男は許してはくれない(10代のアオい男は例外)。
「ワタシにはいろんな未来をフラフラ迷う権利があるし、
貴方にはその迷いに付き合う義務がある」と
安易に思っちゃってる女の子は嫌いです。
カワイイ女の子の仮面を利用するやつらは一斉射撃だ。
こんなマインドの女の子が現れたら
少なくとも、オレは逃げ出したい。
(もう一度確認しとくと、
ずば抜けた美貌・才能・行動力、どれかがあれば、話は別です。)
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思わず、個人的な女の子の好み(というか嫌いなタイプ)
の話に爆走してしまった。すいません。
ワ
ファッション×マンガ
COMME des GARCONS のジャケットを
衝動買いしてしまった罪滅ぼしに書きます。
ファッション×マンガについて特集。
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永久に語り継がれるような、
マンガ作品の王道とは一線を画すマンガがある。
岡崎京子や安野モヲコの作品には
「時代」を鋭く描くパワーがあるからこそ、
時代によって評価が分かれるに違いない。
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岡崎は90年前後のバブルに沸く日本を冷ややかに見ていた。
華やかな経済発展の中に「空虚」をわしづかみにしてマンガに封じ込めた。
安野は閉塞感を振り払うかのように、「若い世代」をセクシーに魅せる。
さまざまな価値観が崩れたあとのカオスに、色気というかフェロモンを味付けした。
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これらのマンガはエネルギーにあふれている。
難しい話でもなくて、簡単な話でもなくて、
「カッコいいのか?ダサいのか?」
それだけを追求した世界は、
思いの外多くを語る。
しかも読み手はそんなこと受け流して、
街へと出かけて「カッコよさ」を追求してしまえる。
だって「カッコよく」なかったら、
何言っても聴いてもらえないんだもん。
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岡崎京子の『見方』と
安野モヲコの『魅せ方』。
サブカルチャーとか言われようが、
ここに、確かに、才能がある。
ワ
七色いんこ
新人研修でノンバーバルコミュニケーションを指導される。
オレは姿勢が悪い。
声のトーンもテンションが低い。
「閉じてるやつ」と「開いてるやつが」いるのだとすれば(←木村拓哉風に)、
基本的に「閉じてる」ことが多い。
だってアウトローに憧れてるんだもん。
まあいいや。
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代役専門の役者にして、盗賊。
ド派手な格好がやけにウザい、ちょっと変わった主人公の手塚治虫マンガ。
複雑な人間関係の複線が、主人公の過去から復讐へと帰結する。
いわばお家芸のシナリオ展開。
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与えられた文脈の中で
一つの人格を演じるということ。
それが作品として成立するのが演劇の世界だ。
以前、TDLでダンサーとして働いた経験を持つヒトに会ったことがある。
魅力的な視線、引き寄せられる声色で
その人はこんなことを言ってた。
「みんな自己表現が下手すぎる。自分の持ってる引き出しを体一つで表現する。
そんな修行の積み重ねが演劇だ。ボクは演劇を勉強して本当によかった。
就職活動なんかで、不安でおどおどしてる人らを見てると、
ボクが演劇からどれだけ多くのことを学んだか、実感する」
このセリフは悔しかった。
彼は自身の中にたくさんのスイッチを持っていた。
自分自身をどう表現するのか、
いわば「魅せ方」のスイッチだ。
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とんでもない文脈を突きつけられても、
スイッチを入れて飛び込んでいける。
そんな役者を見てると、「参った」と思う。
修行の道は長い。
和
サラリーマン金太郎
四月一日。晴れて社会人に。
そんなサラリーマン記念日に。
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言わずと知れた
本宮ひろし先生の日本人への応援歌。
命がけの喧嘩の連続、
血潮のたぎるような文言の炸裂、
作品中にちりばめられている。
ここでの「サラリーマン」とは
自分の生き方・信念・美学をただ貫く。
そんな職業だ。
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もちろんこんな時代に
金太郎的な体当たり人生が送れるとも思わないし、
そもそも「自分の生き方」なんて常に明確なわけじゃない。
だから僕らはまず、
それを問い続けるところから
はじめなきゃいけないのかもね。
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会社、ビジネスといったフィールドでは、
自分と自分が許せないものとの戦いの繰り返しであり、
「最後には大事な人に還元していく」という
ルールを守らなきゃいけない。
そんなことを読後に思う。
和