寮生活に培われた世界観「受容体」
昨日『極東学園天国』のワンフレーズを紹介したので、
順序は逆になったが、この作品について書こうと思う。
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全学校公立化という流れが進み、
徹底された管理教育が学校を独占した時代の話。
それらの管理教育から脱落した生徒たちが
集められた私立五色台学園高校がその舞台。
生徒は基本的に暴力性に富んだやつや、犯罪・非行の常習犯ばかり。
寮で共同生活し、卒業まで一歩もゲートの外に出れず、
親にも会うことが出来ない生活を送る。
一言で言うなら、教育社会のハキダメだ。クサイものにはフタだ。
そんな五色台学園に平賀信号という転校生がやってくる。
信号は、国立の高校の頂点に君臨する高城高校の特待生だったのだが、
まあ、とある事情で転校してきたのだ。
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・・・と、いう設定で物語は始まる。
この作品に出会った高校二年生のとき、
オレは正に寮生活を送っている真っ最中だった。
もちろん、五色台学園のような退廃的なオーラはなくて、
むしろ九州でも有数の進学校と認知されてて
真面目なガリ勉学校だとされていた。
(あくまで教育ママたちの目にはそう映るというだけの話)。
医者・弁護士の息子や事業家の跡取り、なども一通りそろっていて
よくもまあこんな育ちのいいやつらを集めたもんだ、と
今になっては感心する。
12歳のときに入って、卒業したのは18歳。
24時間年がら年中、同世代のやつらと生活してたわけだ。
人生で最も重要かもしれない六年間を。
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性格はもちろん、服の趣味からケンカの強さ、性癖まで
お互い手の内が全てバレている。
そうなると、
一から十までピッタリくる友人は
片手で十分数えられるほどしかいない。
いや、そいつらとでさえも
微細な価値観の違いに自分との深い溝を感じ、傷ついてしまう。
周りに友が24時間いてくれること。
この幸福な距離感が生むのは、そんな深い「孤独」だ。
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まだまだケツのアオい、この年代の人間関係に閉じこれめられて
うすうす理解ってきたことがあった。
それは 「ヒトは誰しも傷をしょってる」、ってことだ。
名家に生まれ将来が約束されてるやつも
才色兼備なフェロモン男も、一緒だ。
コンプレックスだったり、
自分の弱さだったり、
なにかを挫折したトラウマだったり。
人の心には、大なり小なりぽっかりと風穴が開いてるんだ。
そしてオレたちは自分たちの傷と向かい合って生きてかなきゃならんってことだ。
世界に素直なやつほど、この傷がうずく。
まっすぐに生きてるやつほど、この傷から逃げたり無視したりできない。
一人じゃ手に負えないから
誰かと乗り越えようとする。
隙間風が風穴にしみいるから、
友人の部屋をノックする。
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『極東学園天国』は
ひとが背負って生まれる
そんな「先天的孤独」を鮮烈に描き出す。
和