モンモンモン
小学生のころに
ドップリはまったマンガ、『モンモンモン』。
(今日で学生生活が終わるというのに、
こんなマンガもどうかと思うが・・・)
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誰もが親近感を覚える動物、サル。
それを徹底的に擬人化することで
とんでもない笑いの世界が広がった。
笑いの質は小学生向けだが、
昔買い揃えた僕から見れば立派だ。
むしろ小学生的な発想しか出来ないサルは十分リアルだし、
こんなマンガを突きつけられたら、
「楽しむ」以外になにより選択肢がない。
普段の何気ないものでも
ふざけた想像力をもってみれば、
その世界はマンガとして成立するのだということ。
パンを強引なまでに
ヒーローに仕立て上げていく
アンパンマンにも
同じにおいのパワーを感じる。
凡人の想像力を突き破りながらの
創作活動は楽しいのだろうか?苦しいのだろうか?
それすらも測れない。
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・・・とまあ、無理矢理ここまで書いてみたところで
やっぱりその辺はどうでもいい。
愛嬌と自然体で全てを押し切るサルたちが
単純に好きなのだ。
「うっきょー!!」
なんていう適当なセリフが許されるんだもん。
うっきょー
寮生活に培われた世界観「受容体」
昨日『極東学園天国』のワンフレーズを紹介したので、
順序は逆になったが、この作品について書こうと思う。
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全学校公立化という流れが進み、
徹底された管理教育が学校を独占した時代の話。
それらの管理教育から脱落した生徒たちが
集められた私立五色台学園高校がその舞台。
生徒は基本的に暴力性に富んだやつや、犯罪・非行の常習犯ばかり。
寮で共同生活し、卒業まで一歩もゲートの外に出れず、
親にも会うことが出来ない生活を送る。
一言で言うなら、教育社会のハキダメだ。クサイものにはフタだ。
そんな五色台学園に平賀信号という転校生がやってくる。
信号は、国立の高校の頂点に君臨する高城高校の特待生だったのだが、
まあ、とある事情で転校してきたのだ。
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・・・と、いう設定で物語は始まる。
この作品に出会った高校二年生のとき、
オレは正に寮生活を送っている真っ最中だった。
もちろん、五色台学園のような退廃的なオーラはなくて、
むしろ九州でも有数の進学校と認知されてて
真面目なガリ勉学校だとされていた。
(あくまで教育ママたちの目にはそう映るというだけの話)。
医者・弁護士の息子や事業家の跡取り、なども一通りそろっていて
よくもまあこんな育ちのいいやつらを集めたもんだ、と
今になっては感心する。
12歳のときに入って、卒業したのは18歳。
24時間年がら年中、同世代のやつらと生活してたわけだ。
人生で最も重要かもしれない六年間を。
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性格はもちろん、服の趣味からケンカの強さ、性癖まで
お互い手の内が全てバレている。
そうなると、
一から十までピッタリくる友人は
片手で十分数えられるほどしかいない。
いや、そいつらとでさえも
微細な価値観の違いに自分との深い溝を感じ、傷ついてしまう。
周りに友が24時間いてくれること。
この幸福な距離感が生むのは、そんな深い「孤独」だ。
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まだまだケツのアオい、この年代の人間関係に閉じこれめられて
うすうす理解ってきたことがあった。
それは 「ヒトは誰しも傷をしょってる」、ってことだ。
名家に生まれ将来が約束されてるやつも
才色兼備なフェロモン男も、一緒だ。
コンプレックスだったり、
自分の弱さだったり、
なにかを挫折したトラウマだったり。
人の心には、大なり小なりぽっかりと風穴が開いてるんだ。
そしてオレたちは自分たちの傷と向かい合って生きてかなきゃならんってことだ。
世界に素直なやつほど、この傷がうずく。
まっすぐに生きてるやつほど、この傷から逃げたり無視したりできない。
一人じゃ手に負えないから
誰かと乗り越えようとする。
隙間風が風穴にしみいるから、
友人の部屋をノックする。
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『極東学園天国』は
ひとが背負って生まれる
そんな「先天的孤独」を鮮烈に描き出す。
和
「じゃあ自分のことだけ守ってろ」
自分のバイブルになって久しい
『極東学園天国』。
これは時間をかけてじっくり紹介していくが、
今日は一つのセリフだけをクローズアップ。
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「じゃあ自分のことだけ守ってろ」
このセリフは
リーダー格の武藤リーチが武者小路という小心者に向けていった言葉。
学園の廃校が決まり、立ち退き命令が出るも
生徒たちは籠城を決意する。
そんな中、一人退出を訴える武者小路に
イラついて突き放すようにグサリと毒を吐くシーンだ。
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こんなシーンをピックアップするのは、
二言目には自分の都合を主張する後輩に憤りを覚えたからだ。
何とか上手く、金も稼いで、いい家住んで、
自分だけは生き延びよう、なんて姿勢は惨めだ。
そういうやつって「自分だけは」って眼になってるもん。
我が身がいくらちっちゃい存在だろうが関係ない。
その上にどれだけ他人を背負えるか。
・・・別に誰彼かまわずってわけじゃなくて
大事な人くらいはね。絶対。最低限。
そんな強い人間になりたい。
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武者小路の気持ちもワカる気はするんだけどね。
それ以上に武藤リーチに憧れるのさ。へへ。
ワ
[future] ロボットマンガ
福岡へ帰省する新幹線の待合室で一つのニュースが流れた。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0325/tmsuk.htm
インタビューを受けている人は
以前から注目していた高本陽一社長だった。
北九州のロボットベンチャーの経営者で
日本でも有数の技術開発者だ。
まだ実用レベルではないとはいえ
ボケ防止のペットロボットたちから一歩進んで
災害救助を視野に入れて開発が進められている。
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こんな近未来の予感がしたところで、
ロボットとマンガ、について。
いつの時代も必ず
ロボットマンガはブラウン管から
子供たちにメッセージを送り続ける。
(鉄腕アトム、ドラえもんのツートップは不滅だろう。)
ロボット技術者を志すひとでなくとも、
必ずやどこかでロボットマンガを通ってきたはずだ。
それが悲観的にせよ、楽観的にせよ、
未来への想像力・創造力の一部に影響してるに違いない。
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ラスコー・アルタミラの壁画の時代から
人間は「自己複製願望」なるものを持っている、
という学説がある。
シリコンバレーでロボット研究をする研究者は
「なぜロボットをつくるのか?」との問いに
「FUNだよ、FUN。それ以上は何もない」との答えをしていた。
理由なんてなくて、
ただ自己複製願望がうずくだけ。
ということだ。
「パーマン」に出てくるコピーロボットは
ある意味究極の形なのだろう。
(あったらあったで目の前いるロボの自分にムカつきそうだが。)
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ロボットマンガの話に戻して、
人間との距離感で大別すると
以下のように分類が可能かもしれない
1、家族・友達型
意思・感情があり、コミュニケーションもとってくる。
「ロボット」ということをあまり意識させずに、
人間の心に踏み込んでくる。
ドラえもんは間違いなくここに属する。
2、兵器型
ロボット本体に意思などはなく、
人間に操作されるか、あるいはプログラムで自動制御していくタイプ。
ガンダムがその代表例。
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ざっくり分けたところで
今日のところは深く掘り下げたりすることはせずに
問いかけにとどめる。
ロボットとは人間にとって何なのか?
その問いの前にまず
人間とは何なのか?
こういった問いがたつのだけれど、
マンガではどこまで語られているのだろうか・・・
わ
日出処の天子3
(昨日の続き)
その閑静な町中に
法隆寺は泰然としてあった。
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大陸の仏教文化の輸入というInputを通過して
飛鳥というオリジナリティあふれる文化・技術を生み出した。
いわば、文化の一大編集事業だ。
そのターニングポイントを演出したのは紛れもなく、
聖徳太子その人だ。
法隆寺という建築物で世界観を具現化し、
冠位十二階などの社会制度も組立てた。
玉虫厨子、三経義疏、えとせとら。
つまり、「国」の青写真を描いてみせたんだ。
そんなインパクトを創り出した彼に
純粋に尊敬と憧れの念を覚える。
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「実在したのかどうか?」とか
「8人の話を同時に聴きわけた」伝説とか
その辺はおいとこう。
確かめれないから。
「戦時中に右翼的な解釈がなされて・・・」
うんぬんかんぬんとかいうのもおいとこう。
解釈の幼稚さはマインドの未熟さでしかないから。
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余談だけど京都に住んでてふとこんなことを思う。
「古代において寺院建築ほど
クリエイティブな作業はなかったんじゃなかろうか。」
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こうして想像を無駄に飛躍させてしまったのは、
心に突き刺さったからだ。
ワ
日出処の天子2
「日出処の天子」はさすが少女マンガ。
ぴゅあな色気ムンムンだ。
しかし間違いなく性別に関係なく楽しめる。
人間関係と感情の交錯にこそ最強の味があるからだ。
それはまあ、「読んでください」ってことにしといて、
この作品がきっかけになって研究したくなった
"聖徳太子"という存在について少しだけ。
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聖徳太子(厩戸皇子)は言うまでもなく
この国の初めての憲法を制定した(とされる)人物である。
「和を以って貴しと為す」などの条文からなる
十七条の憲法ははじめて明確な"国のかたち"を提示したものだった。
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別に気にも留めてなかった。
昔のお札に載ってた、チョビヒゲの笑える顔以上の
存在ではなかった。
しかし、アメリカで生活してみてふと思った。
そもそも「日本とは何か?」
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アメリカの人々と接する中で
再発見した事実の一つは
日本の「和」という概念の美しさだった。
(このウンチクは省略)
そのアイデンティティを見つめなおすプロセスの中で、
日本の理想の形を初めて掲げた人物として
「和」というマインドを国に根付かせた人物として
避けては通れぬ存在だった。
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「日出処の天子」はそういう視点で楽しむと、
アカデミックにも浸れてしまう。
(明日へ続く)